2008年1月 8日 07:36 投稿者:KOJI
週刊誌の部数現象に思う
えっと、今日は、堅い内容っすけど、ちょいと斬りたい記事があったので、ご容赦を。
次は、柔いのんにしまっさかいに。(^人^)
ニュースソース元記事
スクープ連発でも部数減 週刊誌は死にかけているのか
この10年、週刊誌は1997年をピークに部数を減少させている。
加護ちゃんの2回目の不祥事をスクープした週刊現代は、2006年末にリニューアルを刊行し、加護ちゃんの不祥事だけでなく、日本相撲協会の一連の騒動をスクープしたりと、週刊誌本来のスクープ報道を盛んに行い、一番、活気付いている週刊誌であるにも関わらず、多く部数を減らしている。
それは、業界団体が分析するように「月刊誌よりも刊行サイクルが早いため、定期購読率の低下がより強く現れている」からなのか・・・・。
それとも、「いまの大学生を見ていると本当に雑誌を読まない。いまは情報を消費する時代で、ネットで見て済ます機会のほうが多い。」からなのか・・・・・・。
それらは、違うように思う。
「スクープがないと週刊誌は売れない、というのは昔の話。読者はスクープなんて週刊誌に求めていない。」
この分析は近いのかもしれない。
週刊誌にスクープを求めていないのは確かであろう。それは、ガセともどちらともわからないような情報を一方だけの取材で平気で報道する姿勢にも問題があるのではないのか。
「多様な言論がなくなれば、国民は、官製の大本営発表しか知らされずに、この国の将来を誤ることにもなりかねないのだ」とも業界関係者は危惧しているようであるが、それは違うだろう。
言論の自由は、もはや、ネット上の時代に移ったと言っても過言ではない。これだけ、情報発信の手段として発達したインターネットがある限り、活字媒体である週刊誌は速報性の面において敵わない。
また、官製の大本営発表しかしないというのは、他のメディアの報道姿勢の問題であり、取材対象との癒着があるのではないのかと疑いたくなるようなこともある。
しかし、インターネットはそういったしがらみが全くないことにより、自由といえるほど、情報の発信をしやすい。
また、公式発表などを、まず、インターネットのサイトやブログで行う芸能人も多くなったのも、直に自分たちの言いたいことを伝えれる手段として、有用であるからだろう。
それは、週刊誌という媒体が記者という主観を持った人物や売れるための編集というフィルターを通すため、真意や真実が伝わらないことにも、原因があるのではないのか。
特に芸能ネタに関しては、「面白くて、売れれば、少々、事実より歪曲をしてもよい」というフィルターが存在するかのような記事が多く目立つ。
また、ある意図を持っているとも思えるような記事も多く報道されることに読者は嫌気が指しているのではないのか。
まだ、テレビの報道であれば、その報道が本当かどうか、取材してきたレポーターのコメント内容や記者会見している取材対象となっている芸能人の画像を見れば、おおよそ、判別がつくものである。
だが、活字媒体は、言葉だけという世界であることをしばし、忘れ、その記事がどれだけ、影響を及ぼすのかを考えず、利益追求だけに走る姿勢がありありとうかがえることが、問題のようにも思える。
芸能人のゴシップは、その芸能人のファンの中の一部の人間にとっては、大きな影響を与えるが、ファンではない一般市民にとっては、どうでもよいことである。
そのような記事が大々的に報じられることに嫌気を感じるのは、私だけであろうか。
その記事が本当に正しいかどうかも検証する術を持たない市民からすれば、記者たちの目や編集というフィルターは、より公正でその記事にある背景を市民に曝け出し、社会の問題点を提起することでなくてはどうしようもない。
すでに加護ちゃんが2回目の不祥事により契約解除され休止状態になって、もうすぐ1年が経とうとしている。
加護ちゃんがなぜ、不祥事をおこすことになってしまったのか、その背景を伝えることが週刊誌やその他、メディアの使命ではないのか。
もし、事象だけしか報じないのであれば、週刊誌を読むよりも、同じ文字媒体であるインターネットからの情報で十分だからである。
業界全体が時代が変わったことに対して、保身である限り、読者離れは止まらないだろう。
もう一度、社会の問題点を洗い出すという本来の役目を取り戻し、インターネットでは発信されることが少ない背景を報じることが一番なのではないのか。
次は、柔いのんにしまっさかいに。(^人^)
ニュースソース元記事
スクープ連発でも部数減 週刊誌は死にかけているのか
この10年、週刊誌は1997年をピークに部数を減少させている。
加護ちゃんの2回目の不祥事をスクープした週刊現代は、2006年末にリニューアルを刊行し、加護ちゃんの不祥事だけでなく、日本相撲協会の一連の騒動をスクープしたりと、週刊誌本来のスクープ報道を盛んに行い、一番、活気付いている週刊誌であるにも関わらず、多く部数を減らしている。
それは、業界団体が分析するように「月刊誌よりも刊行サイクルが早いため、定期購読率の低下がより強く現れている」からなのか・・・・。
それとも、「いまの大学生を見ていると本当に雑誌を読まない。いまは情報を消費する時代で、ネットで見て済ます機会のほうが多い。」からなのか・・・・・・。
それらは、違うように思う。
「スクープがないと週刊誌は売れない、というのは昔の話。読者はスクープなんて週刊誌に求めていない。」
この分析は近いのかもしれない。
週刊誌にスクープを求めていないのは確かであろう。それは、ガセともどちらともわからないような情報を一方だけの取材で平気で報道する姿勢にも問題があるのではないのか。
「多様な言論がなくなれば、国民は、官製の大本営発表しか知らされずに、この国の将来を誤ることにもなりかねないのだ」とも業界関係者は危惧しているようであるが、それは違うだろう。
言論の自由は、もはや、ネット上の時代に移ったと言っても過言ではない。これだけ、情報発信の手段として発達したインターネットがある限り、活字媒体である週刊誌は速報性の面において敵わない。
また、官製の大本営発表しかしないというのは、他のメディアの報道姿勢の問題であり、取材対象との癒着があるのではないのかと疑いたくなるようなこともある。
しかし、インターネットはそういったしがらみが全くないことにより、自由といえるほど、情報の発信をしやすい。
また、公式発表などを、まず、インターネットのサイトやブログで行う芸能人も多くなったのも、直に自分たちの言いたいことを伝えれる手段として、有用であるからだろう。
それは、週刊誌という媒体が記者という主観を持った人物や売れるための編集というフィルターを通すため、真意や真実が伝わらないことにも、原因があるのではないのか。
特に芸能ネタに関しては、「面白くて、売れれば、少々、事実より歪曲をしてもよい」というフィルターが存在するかのような記事が多く目立つ。
また、ある意図を持っているとも思えるような記事も多く報道されることに読者は嫌気が指しているのではないのか。
まだ、テレビの報道であれば、その報道が本当かどうか、取材してきたレポーターのコメント内容や記者会見している取材対象となっている芸能人の画像を見れば、おおよそ、判別がつくものである。
だが、活字媒体は、言葉だけという世界であることをしばし、忘れ、その記事がどれだけ、影響を及ぼすのかを考えず、利益追求だけに走る姿勢がありありとうかがえることが、問題のようにも思える。
芸能人のゴシップは、その芸能人のファンの中の一部の人間にとっては、大きな影響を与えるが、ファンではない一般市民にとっては、どうでもよいことである。
そのような記事が大々的に報じられることに嫌気を感じるのは、私だけであろうか。
その記事が本当に正しいかどうかも検証する術を持たない市民からすれば、記者たちの目や編集というフィルターは、より公正でその記事にある背景を市民に曝け出し、社会の問題点を提起することでなくてはどうしようもない。
すでに加護ちゃんが2回目の不祥事により契約解除され休止状態になって、もうすぐ1年が経とうとしている。
加護ちゃんがなぜ、不祥事をおこすことになってしまったのか、その背景を伝えることが週刊誌やその他、メディアの使命ではないのか。
もし、事象だけしか報じないのであれば、週刊誌を読むよりも、同じ文字媒体であるインターネットからの情報で十分だからである。
業界全体が時代が変わったことに対して、保身である限り、読者離れは止まらないだろう。
もう一度、社会の問題点を洗い出すという本来の役目を取り戻し、インターネットでは発信されることが少ない背景を報じることが一番なのではないのか。













